☆義眼の歴史☆~日本の義眼Ⅰ~
日本の義眼のルーツ
義眼は、昔は偽眼(目)や
入れ目などと呼ばれていました。
日本での作られていた
初期の義眼は木、木の実、獣骨などで作った
非常に稚拙なつくりのものだったようです。
日本の義眼のルーツではないかと言われているものの一つが「玉眼」です。
玉眼とは中空にされた仏像頭部の目を
瞼の縁のラインにそってくり抜き、
裏側から、研磨した水晶と、染色された紙や綿などを重ねて木杭で固定することで、
表から見た時に、仏像の眼を
涙に濡れたようなリアルな眼にみせる技法です。
現存するもので最も古い玉眼の入った仏像は
1151年に作られた阿弥陀三尊像(奈良県・長岳寺所蔵)ですが、
鎌倉時代になると玉眼の入れられた仏像が多くみられるようになります。
江戸時代に、「玉匠師」に義眼の作成を依頼したという記録も残っていることから、
こういった仏像や仏具の作成に使われた
玉(ぎょく)の加工技術が後の日本の義眼に影響したと考えられています。
初めて人間の眼に義眼が入れられ始めたのは18世紀中期ではないかと
という仮説もありますが、はっきりしたことは解っていません。
江戸時代の義眼
江戸時代に入ると当時の義眼について知ることのできる
文献がいくつか現代に残されています。
現在知られているものでもっとも古いものでは
中御門天皇の時代(在位期間 1709年~1735年)に
伊賀国の樋口氏によって作られていたという記録があります。
江戸時代の義眼はかなり単純な作りであったようです。
蝋石を半球にして、裏から虹彩にあたる部分に穴をあけ、
穴の中に色付けした蝋石をはめ込んだものと、
ガラスや水晶に胡粉(ごふん)で
虹彩を書いたものの大きく分けて2タイプがありました。
後者は、すぐに色が剥げてきてしまうという問題があったため、
ガラスの裏から胡粉で虹彩を描き、裏面全体を金粉で被って色を剥げにくいように
工夫したものもありました。
他にも獣角や、べっ甲などさまざまな素材が試されており、
陶器で義眼を作成したという記録も残っています。
陶器製の義眼はガラス製のものと比べ、
削ったり、研磨して、修正を加えることができるという
利点があると考えられていたようです。
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眼科・外科医療機器 歴史博物館 所蔵の木の実で作られた義眼